見どころ その9 「西福寺」

西福寺録起
西福寺の最も古い記録は文政8年(1825年)頼杏坪によって編著された「芸藩通志」である。この資料の寺院、廃寺附によると西福寺、観音寺、東正寺は、小河内村にあり西福寺は珍龍山と号し禅宗とある。「小河内村現製誌」昭和18年(1943年)編著には芸州佐東郡小河内村西福寺は延徳2年(1490年)武田三河守信親の末裔、座元禅師甲州より守り本尊をこの小河内の里に勧請し堂宇を建立、珍龍山西福寺と称した。本尊は「聖観音」御丈三尺六寸の座像にて弘法大師の作なり。 脇師は持国天並びに多聞天の二天王の像で、これは運慶の彫刻なり。また伽羅陀山の地蔵尊の一体は行基の作、この外渡来の達磨大師の木造あり、皆稀有の仏像なり天文の頃(1532〜1554)毛利元就公大いに信仰有り、伽藍甍雙へ房金甍を連ぬ荘園二百石を寄付したもうと記されている。しかし文禄2年(1593年)と明治13年(1880年)と二度の火災により本尊脇仕その他の宝物一切灰塵に帰す。その後、福王寺より「四手十一面観音像を勧請一宇の小堂を建て今日に及ぶ。例祭は毎年旧暦3月18日なり。」 ※注 文禄2年及び明治13年の火災により貴重な寺宝とともに文献も焼失しているので出典があきらかでない部分は往時からの伝統に依拠した。何れにしても安佐町地域の重要な文化遺産であると考えられる。
                                             安佐町郷土史研究会

キササゲ

このあたりでは珍しい木です。
西福寺の側で見られます。