安楽寺の恵超さん

 昔々のことじゃったげな。
 安楽寺の10代目の住職に、恵超という足の速いお坊様がおられたそうな。恵超さんが走られると、まるで空を飛ぶように見えたそうな。それで、村の人は、
「あれは飛行術を心得た人じゃ。」
と、崇めておったそうな。
 安楽寺でご法座があるときでも、明け方の鐘を鳴らしておいて、
「ちょっと可部までお灯明の油を買いに行ってくるけえ。」
と、油つぼを脇に抱えて可部まで行って帰り、その日の日中のお勤めをされたそうな。
 また、ある日のことじゃったげな。明見谷のある家に、お参りに寄られた時のことじゃったげな。お説教が終わり、恵超和尚さんが帰りぎわに、その家の主人に、
「わしがお寺に帰るのと、あんたが家の中に入るのと、どっちが早いか競争してみようや。」
と、いわれて帰られたそうな。
「なんぼ足の速い和尚さんでも、寺に帰られるのと、わしが家に入るのとでは競争になるわけがない。」
と、主人が用をたして家の中に入りかけようとすると、安楽寺の鐘がゴ〜ンと鳴ったそうな。主人はびっくり仰天!あわてて飛び出してみると、鐘つき堂から本堂に入られる恵超和尚さんの姿が見えたげな。
 なんとまあ。たまげたことよの。

安楽寺
 天文元年(1532年)に僧順教が開いたと言われる。当時は、小河内村上三根にあったといわれ、上三根から現在の地に移転した年代は明らかでない。明治の初め火災に遭い、文献並びに宝物等がほとんど灰燼に帰したといわれている。
 安楽寺境内には、西福寺があり、小河内牛頭城主弥太郎の菩提寺と言われている。