松郷と明神さん


 昔々のお話です。今のような広い道路はなく、峠の狭い道を歩いていた頃のお話です。
 小河内の三谷から松郷峠を越えて行く道が本街道だったのです。したがって、飯室(いむろ)、鈴張(すずはり)、本地(ほんじ)の方からも、加計に行くときには、この松郷峠を越していました。
 ある日のこと、宮島の明神さんが、かわいい赤ちゃんを子守りに背負わせ、お供のものを連れて加計の穴村にいかれるときのことでした。
 明神さんは三谷の坂をどんどん登っていかれるのですが、子守りは、背中の子どもがだんだん肩にくい込んで重くなってくるし、お腹はすくし、道はますます険しくなってくるのでみるみるうちに遅れてしまいました。
「ああ、しんど。ここらで一休みせにゃあ、もう歩かりゃあせん。」
と、とうとう子守りはたまらなくなって、赤ん坊を下ろして座り込んでしまいました。
「明神さんは、今ごろどこまで行かれたかのう。がんばって早う行かにゃあのう。日が暮れちゃあいけんけえのう。」
と、言いながらも、やっぱり座って足をさすっておりました。
 そんなこととは知らない明神さんは、峠の頂まで登られて後ろを振り返ってみると、子守りの姿が見えません。
「あれあれ、急いで来たもんで、遅れたもんじゃのう。一休みして待つことにしよう。」
と、頂上の岩に腰掛けておられたのですが、待っても待っても、子守りはいっこうに登って来る様子がありません。明神さんは待ちくたびれて、持っておられた杖で前に生えていた梨の木を、
「待つのも業かい。」
と、言われたので、“待つのも業”が“松郷”と呼ばれるようになったと伝えられています。

松郷山 松郷山から小河内を望む