村境の大くえ

 昔々のお話です。まだ小河内と穴村の村境が決めてなかったときに起きた話じゃがのう。
 ある日のこと、小河内の庄屋さんと穴村の庄屋さんは、村と村の境を決めることにしたんじゃと。そしてのう、二人は村境を決める日と時間を話おうたんじゃげな。
 「のう、庄屋さんや。お互いの屋敷を同じ時間に出発してから、出おうたところを村の境にしようや。それんで、小河内の庄屋さんは、何に乗って来んさるの。」と言うと、小河内の庄屋さんは、実は馬に乗るのが大の苦手で、それんでも、馬が嫌いとはよう言わんこうに
 「えへん」と咳払いをして見栄を張り、「わしでがんすか。わしは足が痛むもんで、牛に乗っていきましょうてえ。」と言うたんと。穴村の庄屋さんは“しめた”とばかり喜んで、
 「わしは馬に乗って行きますが、ようがんすかの。」と聞いたとたん、小河内の庄屋さんは“これは困ったことになってしもうた”と思うたんじゃが、いけんとも言えず、しぶしぶ承知して帰ったんと。
 そのことを聞いた小河内の皆はびっくりしてしもうて、
 「庄屋さん、庄屋さん、小河内も負けんように馬に乗って行ってつかあさいや。」と頼んだんじゃが、庄屋さんは、
 「わしは足が痛むけえ、牛に乗って行く。」と言うて、頑として聞き入れなかったんと。
 それんでの、小河内の皆は困ってしもうて、いろいろと話し合いをしたんじゃと。“馬と牛とでは競争にならんけえ、どうすりゃあええかのう”と考えた挙句に、“牛の足の遅い分、約束の時間より少し早う出発したほうがええで”ということになったんと。
 「それがええ、それがええ。」と皆も賛成したんと。
 そうして、庄屋さんはやっと自分の希望通りに、牛に乗ってまだ夜が明けんうちに出発したんじゃと。
 一方、穴村の庄屋さんは、そんなことになっとるとも知らんこうに、
「小河内が牛に乗ってくるのなら、もう穴村が勝ったも同然じゃ。」と有頂天になっての、約束の明け六つの鐘が鳴ると、“前祝じゃ”と祝い酒を飲んで、ゆうゆうと出発したんじゃげな。
 ところがのう、小河内の庄屋さんと出おうた所は、松郷山の頂上をはるかに下った所だったんだと。穴村の庄屋さんはびっくりするやら、悔しがるやらで大変だったんじゃが、約束どおり出おうた所が村境になったんじゃと。
 ところがのう、今度は今吉田と小河内の村境を決める時にゃあのう、今吉田の庄屋さんにまんまとしてやられ、小河内の庄屋さんが駆けつけたときには、大きなクエ(杭)を得意げに打ち込んでいたんじゃげな。今度は小河内の庄屋さんが、歯軋りして悔しがったんじゃが、小河内が負けて、そこが村境になったんと。それんでの、今吉田の庄屋さんが大きなクエを打ち込んだところを、「大クエ」と言いよったんじゃが、いつの間にか「クエ」が「釘」に変わってきて、今んじゃあ大釘と言われるようになったんと。
 まあ、おもしろいことよの。けっちりこ。