左治ヱ門さんの話

 昔、小河内の小峠に、東左治ヱ門という剣道の達人がおりました。弟子も多く、小河内だけでなく、豊平や安野の方からも来ておりました。
 ある日のこと、諸国を修行して歩いている武芸者が、左治ヱ門さんの道場を訪ねてきましたが、あいにく左治ヱ門さんは旅に出て道場を留守にしておりました。
「お頼み申す。お頼み申す。左治ヱ門はご在宅か。」
「あいにく左治ヱ門は、今旅に出て留守にしております。」
ご内儀はていねいに詫びました。すると武芸者は、
「せっかく会いに来たのに、残念なことだが仕方がない。こんな者が来たと伝えてくだされ。」
と言って、懐から五寸釘を出して、玄関先の柱へ親指の先でスーと押し込んで、サッサと帰っていきました。
 左治ヱ門さんが帰ってきて、この話を聞き、
「それは惜しいことをした。ぜひ会ってみたかった。それにしても、よその大事な柱に悪戯するにも程がある。。」
と言って、その釘を親指と小指の先でスーと抜いて、ポンと前の庭へ放り投げました。
 疲れて帰った左治ヱ門さんは、敷居を枕にして良い気持ちでスヤスヤと眠ってしまいました。いつも左治ヱ門さんに負けてばかりいる弟子達は、今日こそは日ごろのうっぷんを晴らしてやろうと、両側からスーと忍び寄り、急に障子を閉めてはさみうちにしました。ところがカチッと音がして、あわやというところで障子が止まりました。よく見ると左治ヱ門さんは首の下にキセルを入れて寝ていたのです。
 左治ヱ門さんは、常に弟子達に、
「油断するなかれ。常にそなえよ。」
と、諭しました。また、剣の極意は相手を倒すことではなく、自分を守ることだと教えました。また、左治ヱ門さんがあがりがまちの端に爪高をし、両手を広げて立っているいるのを、屈強の弟子が2〜3間先から走ってきて、思い切り突き当たって、ひっくり返っても左治ヱ門さんはびくともしないで立っていました。
 小河内の小峠の大場石雄さんのお祖父さんに当たる人の若いころの話だそうです。


小峠辺り