力持ちの為さん

 これは明治の初め頃のお話です。
 小河内の別府(今の西部)という所に、佐々木為三郎という、大変力持ちのおじさんがすんでいました。近所の人たちは為さんと呼んで親しんでおりました。
 ある日のこと、為さんは同じ別府の三川光太郎さんの家の麦こなしに雇われることになりました。麦の束を人が二こどり背負うと、為さんは四こどりぐらい軽々と背負いましたので、仕事はドンドンはかどりました。女の人が千歯で麦の穂をもぎ取ると、男の人が、ぶりを勢いよく振り上げます。
 キーパタン・・・キーパタン・・・麦の穂がこなされていきます。こなされた麦は、藁で編んだ俵に詰め込みます。一斗升で四杯ずつ入れます。みんなこれを四斗俵と呼んでおりました。力持ちの為さんのおかげで、たちまちのうちに麦俵ができあがりました。そして麦こなしも早く片付きました。
 たいそう喜んだ光太郎さんは、
「為さんや、今日はとてもよく働いてくれたので、仕事もはよう片付いた。ひとつお礼がしたいんじゃが、あんたは力持ちで評判じゃ。この麦俵を七俵
ほど、どの手を使っても、とにかく身柄につけて歩けば、みんなあげよう。」
と言いました。
 為さんは、
「それならば・・・。」
と言って、牛小屋からはしごを持ち出しました。何を始めるのだろうかと見ていると、為さんは、はしごの上にまず五俵をのせ、なわで括り付けてそれを背負い、両手に一俵ずつ抱えて、
「どうもありがとうございます。」
と、お礼を言ってのっしのっしと歩いて帰りました。これには光太郎さんもたまげて、ただただ目を見張るばかりでした。
 また、為さんは何十貫もある安楽寺の大鐘を軽々と持ち上げたと言う言い伝えもあります。
 この当時では、小河内でいちばんの力持ちだったと言う話です。


力持ちの為さんの屋敷跡と佐々木家の墓(右写真の中央やや下の白い石)